2018年5月13日日曜日

アフリカに行っちゃいました!


アフリカに行っちゃいました!
バンクラール 北村範子
 アフリカのシエラレオネにクララ会の修道院があることを知り、52歳主婦の私は、一大決心で学生時代からの夢を実現することにしました。三週間の滞在で、幼稚園、小、中、高校とクリニックのボランティア体験です。エピソードの一部をご紹介します。
《 風景 》
まずシエラレオネのフリータウン空港を出た風景は、ディズニーランドのジャングルクルーズがずっと広がっている状態です。人々の住んでいる所は、まるで物語の世界です。ワラの屋根の家は飯盒炊飯のように外で薪や炭で食事を作る場所。土の家は、砂漠の土をレンガのように固めて作った家。少し余裕があると、セメントの壁にトタン屋根の家といった感じでしょうか。家で飼っている山羊がそこら辺を歩いています。
《 クリニック 》
 内科、外科、小児科、産婦人科のクリニックで、私は看護師のため、現地の看護師と一緒に行動させていただきました。日本と同じように使い捨ての滅菌された注射器や針を使用しています。看護師が検査技師の役目も担っていて、マラリア、HIV、グルコース、血清検査を行います。熱が出ていると、まずマラリアを疑い、ほとんどの患者さんが検査をするので、マラリア検査が得意になりました。患者さんごとにゴム手袋を変えるように徹底され、血液感染に対する対策がしっかりされていました。
 一番心が痛かったのは、「熱が出た子供に水を飲ませたいので水を下さい。」とスプーンを差し出された事です。私の持っていたペットボトルの水をスプーンに2さじ程入れましたが、現地の方々は、生活用水は井戸で汲みますが、安心して飲める水となると、わざわざ買う事になるため、清潔な水はなかなか手に入らないようでした。そしてトイレに関してもボランティアハウスにはありますが、一歩外に出るとありません。現地の方々は、そこら辺でするので、何となく臭いが気になる所もありました。
《 シスター 》
 町を歩くと、黒人ばかりの中で白い肌の人間が歩くものですから、とても目立ちます。注目され過ぎて恥ずかしいくらいです。現地の方々は気さくで「Good morning!」と声を掛けると必ず、笑顔で答えてくれます。シスターと一緒に町を歩くと、子供達が「シスター シスター!」と手を振り、まるでアイドル状態です。シスター方がいつも人々に貢献しているので、大好きありがとう。の呼び掛けなのです。修道院には2030代の若いシスターが多く、よく笑い明るく元気な雰囲気です。ある日、山羊と鶏をもらったと庭の棒に縛られて黒山羊がメーメー鳴いていました。鳴き声がしなくなったと思っていたら、23日後の夕食に山羊のスープが出て来ました。シスター達、普段はにこやかに笑っているけれど、やるときはやるなとワイルドな一面を感じました。
《 最後に 》
 この三週間で日本では感じることのない笑顔に、たくさん出逢えました。今では、黒人の方を見かけると、皆元気かな?と思っている自分がいて、まるでシエラレオネに家族が出来たようです。自分の知らない世界に飛び込んでみるという事は、とても不安と勇気のいる事ですが、そこを思いきって突破すると、予想以上の喜びの世界が待っていました。
日本に帰って来て、以前と同じ風景、同じ日常に戻りましたが、何か心温まるものをいただいたような気がしています。今後、バンクラリスタとしての召命であるキリストの証し人として、私の出来る事から少しずつ前に進めたらと思っています。全て神様に委ねながら…。感謝です。
  





バンクラール集会に招待されました。
バンクラールは、シエラレオネに繋がっています。
 子供達のキラキラの笑顔に元気をもらっていました。



 ※バンクラールとは、
御聖体の宣教クララ修道会の創立者の精神のもと、家庭や社会の中でキリストと共に生きるグループ。
※バンクラリスタとは、
バンクラールのメンバーとして、キリストを証しする人。

2018年2月24日土曜日

膝で祈る グァダルぺの聖母のもとへ


膝で祈る
グァダルぺの聖母のもとへ

                       

シスターM



・・・・私は見ました・・・・


メキシコ市にあるグァダルぺの大聖堂で・・・・       
どこの国でしょうか 膚の色は違いますが足早やに吸い込まれるように走り行く人々、

車椅子,又他の人に支えられながら足どりは重そうに、しかし顔と目が微笑んでいる人、老夫婦が杖を突きながら・・・・支えあいゆっくりとマリア様に向かって歩いている。若者のグループがリュックを背負って、次のミサにあずかる為に座り込んで待っている・・・・・

・・・・私は見ました・・・・



膝で祈る姿→赤ちゃんを抱き、跪きながら石畳みをゆっくり一歩一歩前進し、母親は荷物を手に心配そうに後につづく・・

・・・・私は思い出しました

12歳(中学生)の頃、確か読売新聞の片隅に、“膝で祈る”というタイトルで小さな記事が載っていたのを不思議と覚えていました.跪いて祈りながらこれは一体誰向かってどこに行くのでしょうか・・・? そのまま思い出すこともなく時は過ぎた・・・~~

≁~~~それから何十年が過ぎ, 今私は膝で祈りながら、一歩一歩前進して50歩余り行くと、目の前に聖母のお姿が確認できました。中学生の時に見た新聞の記事を思い出しました。謎はとけ、私がここに来るまで道案内をして下さった多くの方々と神様の計らいに感謝。ようやく母に会えたのです。そして今まで導いて下さった方は母であるグァダルペの聖母ご自身に違いないと、思わずにはいられませんでした。



神の母終生おとめマリア様は、全ての人々の為にホアン・ディエゴのマントにその尊いお姿を残された(1531年)。このお姿に触れたとき、わたしはマリア様の温かな眼差しに吸い込まれてしまい、急に廻りの温かさが感じられました。この大聖堂を訪れるすべての人を励まし、慰め、支えようと優しい眼差しをむけられる聖母。

まもなく御出現500年を迎えようとしていますが、いつまでもいつまでもご無事で、すべての人の母でいて下さいますように。


★聖母とともに 
・口びるにほほえみを、魂に喜びを、心に平和を!(福者マドレ・マリア・イネス)      


2018年2月9日金曜日

立春


立 春

シスターL

 「春の兆しは空に現れ大地はそれにこたえる」菜の花が咲きました。来月になれば桜の花が咲きます。どうして花たちは咲く時がわかるのでしょうか。私たちの姉妹で代々農業を生業としているお父さんがいます。その姉妹が言っています。「父は気象博士だ」と。別にデータに頼るわけでもなく空を見て大地を見て農作物について決定していたのでしょう。勘のようなものは神様からのものではないでしょうか。耳を澄ませ心を静かにして聞く祈りのようです。

 「冬なんて嫌いだ氷で転んだしそれを男子に見られちゃったし」(朝日歌壇)私のような高齢者になりますと誰に見られようが見られまいが、「転ばないで、転ばないで」という言葉の中にいます。「ゆっくり、ゆっくり」と呪文のように唱えて動いています。そうしているうちに、こんなことは怠慢ではないか、と思ったりします。

人々は今まで物質的な豊かさを追い求めてきました。広大な家、高価な車など多くのものを持ち、たくさんの欲望を満たすこと、そのために日夜時間に追われる生活を送り効率の良いことを良しとしてきました。しかし今、節電が叫ばれ、エコロジーの生活、地球環境への配慮が求められ、人々は多くのものを持たず、少ないもので生活し、シンプルに行き、心豊かに生きることを追い求めるようになりました。新たな視点から、心の豊かさとは何か、幸せな生き方とは何かが、今問われているような気がします。
こんな短歌もあります「“寒いね”と話しかければ“寒いね”と答える人のいる暖かさ」サラダ記念日 俵 万智                     

2018年1月25日木曜日

寒中お見舞い申し上げます

寒中お見舞い申し上げます
スターL
お正月も終わり、新しい年が歩き始めました。各地で雪の被害が報道され心が痛みます。この冬私たちは日本の草創期を生きてくれた姉妹二人をなくしました。重しが二つとれてしまった様な気がします。心から永遠の安息をお祈りいたしました。
私たちの寮生が去年シェラレオーネにボランティアに行ってきましたのでその時の報告を読んでください。
シェラレオーネでの体験
 私は今年の夏休みを利用して、西アフリカのシェラレオーネ共和国に行ってきました。なぜシェラレオーネに行こうと思ったのかと言いますと昨年私の住んでいる寮の隣にある修道院から一人のシスターがいらっしゃってシエラレオーネのお話をして下さったからです。そのシスターのお話をきいてから1年以上いきたいと想い続け今年の夏にやっと念願がかないました。
 行きは羽田空港からフランスを経由し、シェラレオーネに入国しました。現地の空港は意外と綺麗で驚きましたが、これが首都の空港だと考えるとやはり質素なものでした。しかし私の心は高揚し、これからどんな人と出会いどんな経験が出来るのかといった希望に満ち溢れていました。 空港では現地のシスター(メキシコ人と日本人)に暖かく迎えられて、車でマンゲブーレという村の修道院へ移動し、次の日から早速仕事が始まりました。

 仕事は日本からの支援物資の荷解きと仕訳、職業訓練センターで作られているガラ布(シエラレオーネの伝統工芸品)を使ったバッグやポーチの梱包。学校の授業で使うアルファベットの作成、首都近郊で発生した洪水によって被災した現場の清浄活動と、仮設キャンプの訪問などです。私は英語があまり話せないのですが、シェラレオーネの人たちや修道院のシスターは本当に優しく接してくださいました。シェラレオーネの人たちは貧しいけれど本当に心が温かくて{豊かさ}というものはお金だけではないのだと強く感じさせられました。
 シェラレオーネは{世界で一番寿命が短い国}と言われていて、実際に私も目で見て明らかな栄養失調の子供たちがいました。「おなかすいた。何か持ってる?」「学校に行きたいから、お金ちょうだい」私はそんな言葉を言われて本当に心が痛みました。でも今物やお金をあげても一時的なものであって根本的な解決にはなりません。だからこそ、シスターたちが全力で力を注いで下さっている「教育」が必要だと感じました。

シェラレオーネでの3週間は本当にあっという間でしたが、自分の中で何かが変わった気がします。自分がこの国の為にできることを見つけ、お世話になったシスター方に恩返しができるようになったころ、またぜひ足を運びたいです。
加藤陽和